今月の参加者は、8名(男性4名、女性4名)でした。京都ではめずらしく雪が積もり、とてもとても寒い一日でしたが、ご参加くださり、ありがとうございました。さて、午前中は初心者向けの例会を、午後からは京都アドラーグループの総会を行いました。
初心者向けの例会では、最初に、前月例会の感想、近況報告や最近のできごとなどを話していただき、それらについて意見交換をしていきました。話題は、家庭や職場でのできごと、アドラーの講座に参加しての感想など、さまざまでした。どのお話も、その人らしさにあふれていて、ぬくもりがあり、とても興味深いものでした。
意見交換を終えたあと、エピソード分析を行いました。今月は、1対1のカウンセリング形式ではなく、みんなで話しあう形式ですすめていきました。エピソードは、子どもの冬休みの宿題で、書道の書き方をめぐる、(親と子ではなく)夫婦間でのやりとりでした。
エピソード割愛
対処行動 :「手本、下に敷いているみたいやけど、これ出すつもりなん?」
ライフタスク:「……(無言、反応なし)」
仮想的目標 :「は? 練習に決まってるやん。あたり前でしょ」
私的感覚 +:自分の力で、一歩一歩成長する
私的感覚 −:一足飛びに楽をする
代替案 :「ああ、こういうやり方もあるんやね。僕の頃は、写さないで(しっかり見て)書こうって言われてたんだけど、これって(このやり方には)どんないいことがあるの?」
とくに印象深かったメンバーさんのご意見は、「その科目を好きにさせるだけで、もう大成功なんですよ。(嫌いにだけは、させないようにしたいよね)」です。この視点には、はっとさせられました。
その視点で、あらためてエピソードを眺めなおしてみると、親が手本を下に敷き写して書くことを提案したとしても、それで子どもが書道を楽しんでくれて(あるいは、宿題に取り組んでくれて)、苦手意識を持たずにいてくれるのなら、それも悪くないのかなと思えてきて、落ち着くことができました。
さらに、このような貴重なご意見もいただきました。「自分(私)の想いを(相手に)わかってもらいたいのと同時に、それと同じくらい、相手の話も聴いてみたいですね」。これは、私の心構えについての示唆だと思います。内容はもちろんですが、その表現の仕方が、とてもやさしく上品で、素敵だなぁと感じました。
私には(相手に)わかってもらいたいことがあります。同じく、相手にも(私に)わかってもらいたいことがあるはずです。それは、等しく尊重されていいものだろうと思います。私は、自分が考えていることだけが正しいとすっかり思いこんでいて、相手の話を聞いてみよう、わかろうとする態度を欠いていたことに気がつきました。
そして、「まずは、相手さんがどうしてそうしているのか、聞いてみませんか」というご提案をいただきました。これは、今回の代替案に反映しています。確かに、相手がどのようなことを考えているのか、それをわかろうとも知ろうともしないで、協力するもなにも、ないですよね。
今月の事例で学んだことは、「相手のことをわかろうとする態度」です。相手の話を聴こうとし、会話の中に相手の適切な側面を積極的に見つけていくことで、一歩一歩、協力的な関係を実現していきたいなと思いました。
さて、午後からは、総会を行いました。昨年一年の活動をふり返り、今年の活動方針をみんなで話しあって決めていきました。このような話しあいを持つと、個人だけでなくグループというものも、確かな成長をとげてきたことに気づきます。これは素晴らしいことだと、あらためて思いました。いままではそういう感覚をあまり持ったことがありませんでしたが、これからは、家族やグループといった共同体の成長にも目を向け、心配りできるようになれたらいいなと思いました。
<午前の部>
午前中は初参加の方が1名来られ、男性3名女性3名の6名でした。
勇気づけの歌をみんなで読み、みんなで気付いたことを話し合いました。色々な意見、感想が出てきて大変勉強になりました。何度も読んでいますが、読むごとに新たな発見があるなーと思いました。しかしこれはグループのみんなで意見を出し合うから新たな発見があるのであって、一人で何度読んでも自分の統覚バイアスがあるので新たな発見はないと思います。改めてグループで学ぶ強力な効果を実感しました。
午後は男性3名女性2名の5名でエピソード分析の練習を行いました。今回は一人のカウンセラー役を決めず、グループのみんなでカウンセリングをする方式をとりました。私がクライエント役でしたので報告させていただきます。
私と妻のエピソード
私が行こうと思っていた講演会(仕事ではない)に参加しようと妻に話している場面です。状況は夕食後のリビングで2人、私はその前に参加する火曜日に家の手伝い(子供の送迎など)がないことを確認していました。
私「火曜の夜に(仕事を定時で終わって)京都で〇〇先生の講演会に行ってこようと思って」
妻「自分のことやったらすごいエネルギーやな」
私「えっ、どういうこと?」感情±0 (いい意味で言われる時もある)
妻「今まで家族のことするのに早く帰ってすることあまりなかったと思って」感情 −2 悲しい
私「今は(子供が)やめてしまっているけど金曜日に早めに仕事切り上げてアミティ(子供英会話教室)に迎えに行くとか、土日に仕事休んで発表会行ったりしているのは、それとは違うん?」
妻「他の人は入学式の日とか三者懇とか仕事休んで行ったはる人もいるし・・でも休めへん仕事やって、ずっとそうやって知ってるから(そのあと話が続く)」感情 −3 悲しい
私「平日の昼に休むのは無理やしな・・・」
その後、
私「火曜日キャンセルしたわ」
妻「いいって」感情 -1
私「いや、そんなに頑張って行くものでもないし」
ライフタスクは「今まで家族のことするのに早く帰ってすることあまりなかったと思って」感情 −2 悲しい、を取って
対処行動「今は(中略)それとは違うん?」
仮想的目標は「忙しい時に頑張ってやってくれてるもんな、よそはよそでうちはうちやし、あなたもしたい勉強してきてね。またその内容教えて」
仮想的目標は競合的と取って、ライフタスクに対する思考は「え?そんなことないけどな」「あまりないって言いすぎちがう?」「火曜日は何もないはずやろ」「どうしたらいいんや」「どれくらいやったら満足してくれるん?」
私的感覚のプラス側:努力を認める、マイナス側:できていないことを非難する。でした。
代替案ですが、僕も仕事が忙しくてできてない時もあるけど、協力できるときは頑張ってするし、火曜日は行かせてもらってもいい?
でしたが、女性の方に相手役をしてもらってロールプレイしてみたら、あまりわかってもらえてない気がするとのことで、妻の側のエピソード分析もしてみることにしました。
妻のライフタスクは「火曜の夜に(仕事を定時で終わって)京都で〇〇先生の講演会に行ってこようと思って」
対処行動は「自分のことやったらすごいエネルギーやな」
仮想的目標はみんなで意見を出していただいて「いつも君のことほっといてごめんね。今度埋め合わせするよ、今回は行かせてくれる?帰ったらその話も聞いてくれると嬉しいな」でした。この仮想的目標を私の代替案としてロールプレイしてみたところ、仕方ないなというところは同じですが、陽性感情がでた「仕方ないなー」となったので協力的になったと思います。
今回の学びは
1. その時私は何を求めていたのか分からず、困ってエピソードを出させていただいたのですが。(何が言いたいのかよく分からないからもっと知りたい?よそと比べることを嫌だと感じている?)実は努力を認めてもらいたかったのか!と考えが及んでいなかった事を気づかされました。マイナス側も出来ないことを非難するのはすべきではない!と自分で強く思っていることです。これからの生活に役立ちそうな私的感覚を出していただきました。
2. 女性の方が相手役をしてくださった事で、妻が一緒に共有して欲しかったのでは?と意見を言って頂き、はっ!としました。送迎とか家事の手伝いなどは一緒に共有することではなくて、入学式や三者懇は夫婦で共に経験し共有することです。そこの違いに全く気付きませんでした。そう言われれば、妻は普段も共感して欲しいとか、思いを共有して欲しいとかいうような事を言ってます。メンバーの男性方もそこは全く考えが及ばなかったようで、女性と男性の感じ方の違いを実感しました。それは話も食い違うわなーと思いました。
3. 相手役のエピソード分析をすることによって、相手役の仮想的目標(推論ですが)を自分の代替案にするとうまく解決する。まさに勇気づけの歌“相手の目で見て相手の耳で聞き相手の心で考え生きていく”だなーと思いました。ただし相手役の仮想的目標が協力的なものに限りますが。
4. グループでカウンセリングをしてもらうことで、多くの意見を言って頂くのですが、5から7ぐらいの意見中1意見ぐらいしか合いません。しかし、あれも違うこれも違うと自分の感じ方と違うものを除外していくことで、深い私的感覚に辿り着くんだ、ということが分かりました。以前にカウンセラー役として練習させていただいた時に、自分のsuggestionが全くクライエントさんの考えに当てはまらなくて劣等感を抱いていたのですが、「それは違うな」という事をクライエントさんが気付く事で私的感覚を出すお手伝いができていたんだ!ということが分かりました。
今回も大変学びの多い有意義な会となりましたありがとうございました。
<午後の部>
午後の部で、私は、先月(1月例会)の学びを述べました。話題は、2つです。1つは、「 相手の話を聴こう」の体験談です。もう1つは、「私的感覚のことば」についてです。
1.話を聴こう
1月の事例の代替案は、「相手の話を聴いてみる」でした。
私は、相手に伝えたいことや意見を持っています。しかし、「聴く」よりも先に「話す」と、私の相手役はしばしば、黙ってしまうことがあります。先月のエピソードも、このパターンでした。つまり、「1私、話す → 2相手、黙る → 3私、さらに話す → 4相手、黙る」です。
パセージのテキスト3−Rには、コミュニケーションのモデルとして、循環図が描かれていて、次のような説明があります。
「人間は、いつも周囲の影響を受けて行動します。(略)。親と子は、お互い影響しあって暮らしているんですね。 そうして暮らしているうちに、やりとりに一定のパターンができてしまいます。つまり、決まりきった型ができるんです。この型が、いい型だといいのだけれど、悪い型にはまってしまうと大変です。」
「相手の話を聴こう」という代替案は、「1私、話す → 2相手、黙る → 3私、さらに話す → 4相手、黙る」のうち、「1私、話す」を、「1私、聴く」に置きかえてみようという試みです。ですから、実践するときは、ただただ聴くことに集中しようと思いました。
話を聴いてみると、相手には相手なりの考えがあることがわかりました。善意や良い意図があることもわかりました。エピソード後、私の知らないところで動きがあって、私が誤解したままでいることもわかりま した。
やってみて気づいたことがあります。1つ目は、話は脱線するということです。話題がそれるたび、「そんなこと、いま聞いてないのに」と、焦りや軽いいらだちを感じることがありました。2つ目は、それでも、聴くという行為だけに集中しようと決めていると、聴くことができる(ときもある)ということです。このときは、「まぁ、また別の機会に聴けばいいか。今日は、話したいことを気分よく話してもらっても、いいかな」と、気長にいたのがよかったようです。
さて、「1私、聴く」→「2相手、話す」という、新しいパターンが生まれました。「1私、聴く」→「2相手、話す」は、このように文字にしてみると「あたり前じゃないか」と思われるかもしれません。私もそう思いまし た。しかし、このパターンは、私が行動を変えることでできたものです。一方、従来の型は、心ならずもそうなっていたものです。私は、そこに大きな違いを感じました。
このことを、循環図を見ながら振り返ってみると、京都アドラーの皆さんが私に伝えたかったことの意味がよくわかります。
2.私的感覚を、もうちょっと掘り下げてみると
先々月から、私はあるテーマを追いかけています。それは何かというと、「私的感覚、特に私的感覚のマイナス面を、(私が)扱いやすいことばで表現しよう」です。
きっかけは、「私的感覚のマイナス面も表現を工夫できたら、(たとえマイナス面であってもプラス面と同じように)使えるようになります」と、伺ったことです。
たとえば 、先々月の事例の私的感覚(マイナス側)は、「無視する」でした。しかし、この表現では、使い道に困ります。
あるいは、先月の事例では、「一足飛びに楽をする」でした。この私的感覚も、いまひとつしっくりきませんでした。そこで、もう少し、掘り下げておきたいと思いました。
「私は、手本をなぞって書くことの、どんなところを嫌だと思うのか」と考えたとき、最初にパッと思い浮かんだ表現は、「だって、邪道やん」でした。邪道というのは、本来の目的から外れたやり方、正しくないやり方、望ましくない方法というような意味です。邪道の対義語は、「正道」です。これは、物事の、道理にかなった正しいやり方というような意味です。
そこで、私が考える「本来の目的」や「正 しいやり方」というのはどういうものかを考えてみることにしました。どうやら、私にとっての本来の目的は、「(お手本のように)美しく書く能力を身につけること」で、正しいやり方というのは「お手本をしっかり見て、練習し、自分の手(力)で書きあげること」のようです。
こう考えていくと、私の私的感覚のマイナス側は、「形だけを見つくろうこと」とか「未完成のままで終えること(中途半端なまま放置すること)」というようなものではないかと、思えてきました。このふたつは、いずれも私の価値観として確かにあるものです。そして、なによりも、私はこの表現がとても気に入りました。
もしかすると、この私的感覚は、どちらがより大切な私的感覚なのかとか、プラスの私的感覚( 自分の力で、一歩々々成長する)と二項対立になっていないとかの理由で、正しい私的感覚ではないかもしれませんね。
それでも、私は、この表現はいいなと思いました。なぜなら、私にとって、とても「扱いやすそう」に思えたからです。たとえば、「形だけであっても見つくろうことって、大切ですよね」とか、「途中で終えることも、時には必要ですよね」と言われたとき、「あぁ、それはそうですよね」と、受け止められるような気持ちがするのです。
私的感覚は、その人がとても大切にしている価値観ですが、あまりに強く作用しすぎると、しんどくなります。ですから、自分の私的感覚を知って、場合によっては、それを少し緩める(バランスを整える)ことができるようにしておきたいもの です。そのとき、親しみやすいことばで表現された私的感覚を持っていると、やりやすくなるように思います。
京都アドラーの皆さん、いつも、ありがとうございます。毎月、こうやって皆さんとお話できる時間を楽しみにしています。どうもありがとうございました。
3月5日の例会報告です。
午前は男性4名、女性2名の参加で、「勇気づけの歌」の読み合わせをしました。
「勇気づけの歌」には、パセージやパセージプラスで習ったこと、基礎講座で教えてい
ただいたことが書かれているのですが…。改めて一つ一つについて皆で意見や感想を述
べ合うことで、深く学べるなぁと思います。当たり前と思っていることの中に、毎回新
たな発見があります。
私自身が最近特に気をつけていることは…
> わからぬことは開いた質問で
> 伝えることは閉じた質問で
> 相手を変えることを目指さずに
> 協力できる部分をみつけよう (18
です。
これも、パセージでかなり最初のほうに学ぶことですが…。
カウンセリングをしているとき、パセージリーダーをしているとき、
あるいは日常生活のすべてで、これができるようになるように…。
平叙文で語ることなく会話できるように…。
基本的なことをきちんとできるように練習を続けたいと思います。
午後からはメンバーが入れ替わりまして、男性3名、女性2名でエピソード分析をしまし
た。特にカウンセリング練習をしたいというメンバーがいなかったので、前回に引き続
きグループでエピソード分析をしました。久しぶりに私が事例を出しました。
●エピソード#1
夫:(具体的な内容を忘れてしまったが…何か私の気に入らないことを言った!)【ラ
イフタスク】
私:そういう、相手を貶めるような言い方をするのは良くないと思う。そういう風に言
うと、解決とかプラスの方向へ向かわないでしょ!(−3 怒り・残念)【対処行動】
夫:(困ったような顔をする)
娘:まあ、まあ。パパがコミュニケーションをとろうと思って言ってるんだから、大目
に見てあげて。
私:それはわかってる。でも、そうやって人を下げるような言い方で相手の気を引こう
とするのはやめた方がいいと思うよ。
夫:すいません。
【仮想的目標】は「そうだよね!(と、目覚め)アドラー心理学、俺も勉強するわ!」
でした(笑)。ばっちり競合的です(笑)。
しかし、【ライフタスク】にあたる夫のセリフが明確に思い出せないこともあり、もう
ひとつ事例を聞いてもらいました。
●エピソード#2
私がふとんに入っていると、レインちゃん(猫)が私のふとんに入りたそうにしていた
。私:レインちゃん一緒に寝たいの?
夫:レインは何も言ってないって。ただ寒いところから暖かいところへ入りたいだけだ
って。
私:(レインちゃんに向かって)ちがうよね〜。一緒に寝たいんだよね〜。(−1)
夫:レインは何も言ってないから。
私:もう。そういう風に思っといたほうが幸せでしょ。ねぇ、レインちゃん。(−1)
夫:(特に反応なし。)
こちらは、夫の側からエピソード分析をして夫の【仮想的目標】を出してもらいました
。
いろいろと考えて…。
【(夫にとっての)ライフタスク】は「レインちゃん、一緒に寝たいの?」
【(夫の)対処行動】「レインは何も言ってないって。ただ寒いところから…」
【(夫の)仮想的目標】は「そうかなー。レインちゃんはパパのことも大好きだもんね
」
となりました。
突然「パパのことも大好き」という仮想的目標が出てきているのですが…。
グループでの話し合いやロールプレイの中で、たとえ相手がペットの猫でも、夫はなん
となく疎外感を感じているのではないか、と気がつきました…。それで、夫も仲間にな
ってもらうためにはどういうセリフがいいだろうか、と考えた結果が「レインちゃんは
パパのことも大好きだもんね」でした。
代替案は「レインちゃんはパパのことも大好きだよね」と伝えてみる、というのと…。
あとは、夫が考えていることをもうきちんと少し聴いてみよう、というものでした。
私は「夫は不適切な行動で(私の)注目関心を得ようとしている」と考えておりました
が、それが本当にそうなのか、冷静に考えるとよくわからなかったからです。
家に帰って、早速聴いてみました。
まずは娘に、エピソード#1について、夫のセリフを覚えているかどうか確認すると…。
そういえばそんなこともあったね、と笑って、「たぶん、いつものようにレインのこと
を何か悪く言ったと思うよ」と教えてくれました。
その後、夫が帰宅したので聴いてみると…。
やっぱり、笑って、そんなこともあったね、という反応でして…。
私が「あの時は言いすぎたと思う」と謝ると、夫は笑って「だって、あなたはそういう
人でしょう」と。まあ、そうですよね。さすが、よくわかっていらっしゃいます。
そして、夫の本意を知りたいと伝えエピソードを説明して、夫の考えを聴きました。夫
の返答を要約すると次のような内容でした。
「レインのことはかわいいと思っているし、別に、自分が疎外感を感じているわけでも
ない。ただ、赤ちゃん言葉で動物に話しかけるのがイヤなだけだ。レインに話しかけた
りするときは、先に予告してもらったら、心の準備ができるのでそうして欲しい。」
「先に予告」というのは、実は以前、夫がオナラをするときに、私が夫にお願いしたこ
とでした。生理現象なので仕方ないのですが、大きな音がしてから「ごめん」と謝られ
るより、先に予告してもらったほうがいい、と頼んだのです。
実際、生理現象なので難しいのですが、うまく間に合って予告してもらえると私は陰性
感情を感じませんでした。夫は努力してくれています。(私もオナラの際は予告しよう
とするのですが…うまくできないと「予告してない!」と突っ込まれることもあります
(笑))尾篭な話ですみません…。
ともあれ、レインに話しかける前に予告する、というのもそれと同じことだと思いまし
たので、そのようにやってみました。そうすると、夫も特に「レインはしゃべらないか
ら」などの反応はせず、穏やかに過ごすことができるようになりました。
よくよく考えると、結局今回やったことは、夫婦間の問題解決の方法として「相手の今
やっていることでやめて欲しいことを伝え、今やっていないことでやってほしいことを
伝える」ということだったのかな、と思いました。
そして、夫婦ネタは難しいなぁ、と改めて思いました。
夫婦の歴史の中でコミュニケーションツールになっていることがあり、カウンセリング
をする場合には、カウンセラーはそれを見抜いていないと、まったく見当はずれな解決
に導いてしまうなぁ、と思いました。
我が家の場合、私が夫にびしっ!っと意見を言い、一刀両断にしてしまうことは…。も
しかしたら、夫はそんなに嫌がって(困って)いないのかもしれません…。
むしろ、私のほうが「ああ、またやってしまった…」と反省モードに入っていた気がし
ます。それで、夫のセリフを覚えていないのに、自分がやりすぎたことだけはしっかり
覚えていたのかもしれません。
そうすると、これは夫婦ネタですらなく、私のライフスタイルの話題なのだと思います
。
自助のみなさん、めんどくさいネタを出してすみませんでした…。
でも、おかげで勉強になりました。ありがとうございました。
京都は、この時期、多くの観光客が訪れます。自助会の会場近辺を流れる鴨川界隈は、風情があり、外国の方々を含め多くの方たちが、美しい季節を楽しんでいらっしゃいました。
さて、京都アドラーグループも、新たな春を迎えました。今月は、5名ものビジターメンバーさんがおいでになり、たいへんにぎわいました。遠路よりおいでになった方もいらっしゃいました。どうも、ありがとうございました。
●午前の部
10名(男性5名、女性5名)
『勇気づけの歌』抄読会
まずは、『勇気づけの歌』を、メンバー全員で通読しました。それから、冒頭から(6)までを読みあわせて、意見の交換(学びあい)をしました。
話題にあがったのは、「社会」や「職場(規模)の大小」、「役立つ道、邪魔する道」、「所属」、「勇気」などです。ご自分の職場のことや体験談、「こうなればいいのに」という希望を、思い思いに語ってくださいました。
私は、「人それぞれ、いろんな考え方があるんだなぁ」と、思いました。一方で、「学びたい、成長したい」という、前向きな気持ちをお持ちになっている点は、みなさん共通していることが分かり、うれしかったです。
ともに学ぶ仲間として、これからもみんなで、一歩々々成長していきましょう。
●午後の部
6名(男性2名、女性4名)
心理劇の演習
私は、主役を体験させていただきました。心理劇では、クライエントは、主役と呼ばれます。
感想をまとめようと思って、いろいろと振り返ってみました。正直なところ、言葉でうまく表現できないというか、どう説明したらいいのか分からない、そういうワンダーな世界が、心理劇なのかなと思っています。
締めのシェアリングで、メンバーさんのお一人が、「言葉では表現できないことって、ほんとうにあるんだなぁと思いました」と、かささぎ座での体験を話してくださいました。そう。まさに「そういう」感じなのです。
劇で、結局どうなったかというと、知らないうちに新しいストーリー(代替案)ができあがっていて、しかも私はそれを採用してみたい気持ちになっていたのです。とてもびっくりしています。
私の、新しいストーリーは、「ガンバりすぎない」というものでした。「頑張る」というのは、私が大切にしている価値観のひとつです。ですから、劇で演じた、この「ガンバり感のない」ストーリーは、普段の私でしたら、とうてい受け入れたくないものです。
なのに(といってもいいと思うのですが、)今回は、そんなストーリーでも抵抗なく受け入れることができたこと、むしろ、ちょっとやってみてもいいなという気持ちにすらなったことは、不思議な感覚です。
そんなわけで、私は、翌朝、「ガンバらない朝」をちょっと頑張って(?)迎えてみました。
一日は、何ごともなく、はじまりました。何がおきるというわけでもなく。ただ、たんたんと流れて。
家族は、いつもと変わらない様子だったような……。シンプルな世界だなと感じました。
心理劇で、いったい、なにが起こったのでしょうね。とにかく、疲れました。でも、とっても楽しかったです。
5月21日例会を行いました。
参加者は午前が男性2名女性4名、午後はメンバーの入れ替わりがありましたが、男性2名女性4名のどちらも6名となりました。
午前は先日開催された「かささぎ座」や「秘訣講座」についてのシェアリングを少ししてから、「勇気づけの歌」の抄読会をしました。全体を音読したあと、(7)〜(10)までをやりました。
いろいろな意見が出ましたが…。
陰性感情を制御することができた事例では、無意識的だったけれど「「よかった」と言って感情を落ち着けて(8)」いたをやっていたんだね、だとか…。
なかなか解決しない事例では、「相手の行動気に入らないときも、繰り返されるなら知ってやっている(9)」かもね!とか…。
子どものことは、ついつい口をだしてしまうけれど、同じことを友人がやったら、子どもに言うようには言わないよね、
大人と子どもは違っているけれど
人間としての価値は変わらない
一人の人だと思って接すれば
仲間と認めて協力してくれる(7)
だね…。などと、話し合いました。
事例がでればエピソード分析をしてみようね、と言っていたのですが、扱えそうな事例が出ずに話し合いのみになりました。次回は事例がでるといいなと思っています。
午後は、LS分析のワーキングスルーの練習1ケースと、カウンセリング練習1ケースの計2ケースの練習をしました。
ワーキングスルーの練習では、私がクライアントになりました。
事例は、職場での事務員さんとのやり取りで、大きなトラブルはないが、陰性感情をもってしまうことが続いている、というものでした。
いくつか同じ相手との似たようなエピソードを出しました。
セラピスト役さんは、そこからライフスタイルとの関連を引き出そうとしてくださったのですが、クライアントの私が途中で迷子になってしまいました。
セラピスト役さんの反省点としては、いくつかエピソードが出たのでそこから共通点を導き出そうとしたけれど、やっぱりひとつエピソードを押さえておくべきだった、というものでした。「エピソードに戻る」が基本だね、ということです。
確かに、クライアントの感覚としても、遠回りでもエピソード分析をしてもらったほうが、痛みもすくなくわかりやすかったかもしれないな、と思いました。
また、クライアントとして感じたのは、職場の事例だったので、仕事のタスクとしての考えと、普段のライフスタイルに関係するものとが、混乱しやすかったように思います。
さらに、あとからセラピスト役さんが考えていたことを話してくれたのですが、職場のグループダイナミクスの影響もありそうでした。
ライフスタイル分析のワーキングスルーの場合は、いろいろな要素の中からライフスタイルに強く関係するところにクライアントが気がつくように進めていく必要があり、あらためて勉強になりました。
クライアント役をやってみて、改めて「クライアントは思った以上に混乱しているものだ」とわかりました。
それと…。
たまたま同じ職場で働くメンバーが自助グループにいるのですが…。
お互い、同じような場面でも見ている側面が違っていて興味深かったです。
やっぱり、できごとを自分の見たいように見ているんだなぁ、仮想論だなぁ、と思いました。
9月の例会報告をいたします。
今回は、遠方からも、そして新しい方も含め、大変多くの方がご参加くださり、今までで一番多くの参加者でした。
皆さま、どうもありがとうございました。
午前中は、「勇気づけ」の歌を皆で読みつつ、皆さんからエピソードを出していただきました。
不適切な場面での適切な側面を皆で考えたり、ブレイクスルークエスチョンズを使いながら、問題解決について学びました。
午前中は私が司会を行ったのですが、とても多くのことを学びました。
参加者のエピソードを使わせてもらい、それをブレイクスルークエスチョンズを使って解決を考えたのですが、私の頭の中にはっきり
解決像が描けていると、すっと解決に向かったのに対し、もやんとしたままで対応すると、とたんにもたもたし、クライアントさんにも
負担をかけるし、迷走するなということがはっきりとわかりました。
また、大勢の人でしたので(今回は、何と中学生(2名)も参加くださいました!)、傍観者が出ることのないよう、全体を見渡しながら、
頭をフル回転させながら次はどうするかを考えていましたので、終わってからぐったりしました。
パセージリーダーさんてすごいな、グループをまわすというのはこんなに大変なんだとつくづく思いました。
午後からは、心理療法の実習を2ケース行いました。
短時間で、クライアントさんが語ることからパズルのように組み合わせて一つの絵を形作るのは、大変な作業だと今回も思いました。
初心者も、そしてベテランの方も学んでいけるように、京都アドラーグループをリニューアルしてからもうすぐ1年になろうとしています。
いろんな方が来てくださっても受け入れられる懐の深さ(ちょっと言い過ぎ)を持てるようになってきたのかなと思います。
それは、自分たちでそうできたのではなく、京都アドラーグループに来たら学べるものがあると期待を込めて来てくださる方と、そういう期待に
応えたいという思いの相互作用によるものだと思いました。
また多くの方と共に学べることを楽しみにしています。
*報告が作成できていない月があります。
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