☆2月の例会

参加者は、午前は9人(男性4人、女性5人)、午後は10人(男性4人、女性6人)でした。

午前中は「基本前提の歌」をみんなで読んで、一人の方のエピソードをお聞きしました。
午後はエピソード分析を2事例、グループでしました。

午後に私のエピソードを扱っていただきましたので、その後の経過を含め報告します。
エピソードは、兄弟喧嘩が始まり、上の子が下の子に「お前はいっつも○○や!迷惑やねん!!」と言い、喧嘩が始まります。そして、陰性感情そのままに私が喧嘩に介入して、上の子に意地悪なことを言うというものでした。

私の「最近いっつもこうなんです」という発言に対して、「『いつも』って?」(もう少し違う言葉だったと思います)とメンバーに聞かれました。
「いつもです。昨日もそうだったし。日曜日も、土曜日もこんなことがありました!」といつもそうなんですを探して答えました。このメンバーの発言が、後から後から効いてきました。
そうです。私はいつもいつも不適切な行動に注目して、上の子の勇気をくじいているんです。

上の子が下の子に「お前はいっつも○○や!迷惑やねん!」と言うのと同じことを、私は上の子に思っていたのです。
上の子に対して「あんたは、いっつもいっつも、下の子にそんなこと言うて!あんたがそんなこと言うから、こないなややこしいことになるねん!迷惑やねん!」と思っていました。
これって、どういうことなんでしょうか?
上の子が下の子に言ってることと同じことを、私は上の子に言っている。
私が上の子に言ってるから、上の子が下の子に言っている?

子どもの喧嘩で場が荒れるのが私は苦手で、その場を離れても耐えられません。
今までもあれこれマイナス感情がなくなる工夫をしてみましたが、未だに失敗を重ねています。例会で見つかった代替案は、喧嘩が始まりそうな時点でそっと二人に触れて「かわいいね」と言ってその場を離れるです。

家に帰ったら上の子に「アドラーどうやった?」と聞かれたので、
出かけさせてもらったお礼と、いつも私を思いやってくれることのお礼、
私の事例と代替案の話などをしました。
私は実践が難しく感じるので、お館さま(鬼滅の刃の産屋敷耀哉さん)になったつもりで
「私のかわいい 剣士 ( こども ) たち」と思いながら「かわいいね」と言ってみるのは どうかなと上の子に相談してみました。
子どもには、お館さまは本当にできた人だから、 お母さんが同じようにするのは無理なんじゃないかと言われました。目標が高いってことね
と思い、じゃあ、どんな風だったら本当に「かわいいね」と言えるのか2人であれこれ 話しました。
アドラー心理学の理論、私的感覚、価値について、代替案を実践するときの 工夫など、2人で楽しくおしゃべりしました。

さて、実践はやっぱり難しく、例会後1週間は、「かわいいね」と心の中で言った時点で、
「どこが!?」と思って実行できませんでした。
切り紙遊びをしている途中、上手くできないと思った下の子がびりびりに折り紙を破いて投げ捨てる。オセロの石を部屋中にばらまく。大声だして扉を何度も蹴る。
この状況では、少しもかわいいと思えず、陰性感情のオーラを出しながら、黙ってじっとしているので精一杯でした。
でも、子ども達のやり取りに直接介入はしませんでした。
数えたわけではないのですが、明らかに子ども達がもめる回数が増えました。

その後、さらに一週間。
だんだん「かわいいね」と心から思えるようになってきました。
下の子の、上手くできないけど一生懸命取り組んでいるところ、
自分ではできると思ったけどできなくてがっかりしている様子、
ちゃんとしたいと思っているところ、たくさん素敵なところ、
かわいいところが見つかりました。時々、お館さまや他の人の力を借りつつ、
かわいいと思いながら近くにいることができました。

今は、私は子ども達の喧嘩に一切介入しない。上の子が下の子に介入する回数と時間が、
若干減る。下の子が自力で落ち着く時間までの時間が短くなるという状況です。
「不適切な行動に、正であれ負であれ注目を与えると、必ずその行動は続きます。」
(パセージ4-L)1章に書いてあることは本当に本当だったんだと、
何度目かわからない発見をしました。

私の事例を聞いたグループのみなさんは、いつものだな思われたんじゃないでしょうか。
結局、いつも同じだなと私も思います。だけど、一人で抜け出すのは難しいです。
「心と体を向ける」とか「正の注目」「子どもの喧嘩には介入しない」を知っているけど、どんな風にすればいいのかわからないんだと思います。自分の対処行動のまずさに気づいて、メンバーの発言や雰囲気から学んで、ようやく少し自分の子どもに対してできることが増えるように思います。自分以外の事例だと、何が起こっているのか比較的わかりやすいのに、自分のことは難しいです。
グループでないと学べないことがあるのだと思います。

私が同じような事例を出しているのに少しずつしか学んでいけないように、事例を出す人は本当にそのことで困っているんだということも学びました。
困っていることは違うけど、一緒なんだなと思いました。
私がみなさんにお話を聞いていただいたように、私も事例提供者のお話を聞いて一緒に考えていきたいです。


☆4月の例会

参加者は5名(男性3名 女性2名)でした。

10:00〜12:00 グループカウンセリングを行い、12:00〜13:00、近畿地方会で京都が担当するワークについて話し合いを行いました。

グループカウンセリングでは、私の事例を扱っていただきました。

中3の息子とのエピソードです。
息子は中1から不登校中で、所属はもともとの中学に置きながら、適応指導教室というところに通っています。今年も引き続きそこに通うということになっていたのですが、適応指導教室に通うには毎年更新が必要で、そのための面接の予約を入れる必要がありました。水曜日の晩に所属の学校から、「明日の9時から不登校支援センターでの面談の予約が入れられるので、電話で連絡して面談の予約を取ってください」と連絡が入りました。明日は木曜日。私は仕事が休みの日です。おお!これはちょうどいい!と思い、息子に、「ねえねえ、明日電話して予約とって、もしその日に面談してもらえそうだったらそうしてもらおうよ」と伝えました。息子は「えー…うん…。」と、あまり乗り気ではなさそうでしたが、私は、一応了承してくれたことにしていました。でもその後遅くなってから、「やっぱ行く気なくなった」と言い出し、私は、(お、はっきり断ってきたぞ。でも明日はチャンスなんだけどな〜面談行かないと何も始まらないしな〜)と思いながら「ふーん…(-2)」とだけ言って、その日は寝てしまいました。
 翌朝、息子は起きてきません。私は先日のマイナスのまま、でも今日行かなかったとしても、面談の日程をどう決めればいいか先方に聞いておこう、と考えて、不登校支援センターに連絡してみました。すると、「ご本人がその気になってからで結構ですよ〜」とのこと。ちょっとほっとして(-1)、このニュースを本人に伝えようと、彼の部屋に向かいました。

私:<トントンとノック>
息子:「・・・・・。」<布団をかぶって寝ている。> -1
私:「ねえねえ、電話したけど、行くと決めてからでいいんだって。」
息子:「・・・・・。」-1.5
私:「ねえねえ、昨日眠れなかったの?
息子:「・・・・・。」-2
私:「しんどいの?」
息子:「しんどい。」-2
私:「寝てなかったとしても、朝起きた方がいいよ?昼夜逆転するのはよくないよ。朝ごはん食べようよ。」
息子:「寝てないから朝起きれないってわけじゃないし!」<むくっと起き上がって下に降りる>-4
私:「・・・・。」

このエピソードについて、私の対処行動を「電話したけど、行くと決めてからでいいんだって」とし、ライフタスクを、時間になっても起きてこない息子、として仮想的目標を考えました。

私の仮想的目標は、「ああそうなんだ、まだ決めなくていいとわかってよかった。電話してくれてありがとう。元気になったし、朝ごはん食べようかな。今日は天気もいいし、外にも行こうかな。」というものでした。

この仮想目標を競合的ととって、私的感覚を出していく作業の中で、ああやっぱり私のライフスタイルに引っかかるところは、結局いつも同じなんだな、とあらためて感じました。

以前、別の事例で、「よく知らないで間違ったことをする」のはよくなくて、「よく知って正しいことをする」のがよいことだという私的感覚を出してもらったことがあります。この場面でも、「間違ったことで相手に悪い影響を与える」のがマイナスで、「相手の役に立つ」とか「相手に良い影響を与える」などがプラスの私的感覚として出てきました。

このエピソードでは、息子にいいニュース(今日は動かなくてもいい)を伝えに行ったはずなのに、うまく勇気づけられていない、ということに動揺し、私のよく知っている道、つまり、不眠とか生活リズムがくるって体調が悪くなるとか、日常の診療で私がたくさん知っている道に息子を当てはめて、何とかしようとしている私がみえてきました。でもうまくいかなくて途方に暮れている。だって息子は、別に体の具合が悪いわけでも、精神的に具合が悪いわけでもないのです。じゃあどうすればいい?このやり方は間違っているんじゃないか、このままでは助けてあげられない…と思ったら今度は、「救世主だ!」と、いつか野田先生に言われた一言を思い出しました。「救世主やめたら楽になるよ」の言葉とセットで。

代替案として、私の対処行動のセリフの後に、「また行くことに決めたら教えてね」といえばよかったことに気づきました。息子を信じて任せればいのです。そこに陰性感情は不要でした。

さらにその後のメンバーさんとの雑談のなかで、「だって知らない道だと道案内できないじゃないですか〜」と言っている私がいました。ああそうか、私は道案内がしたかったのか。でも息子は私の知らない道を歩いているのです。
診療では、私はたくさんの道案内をしています。自信をもって。だってこうすればよくなる、って知っているから(よく知って正しいことをして、救世主だなあ)。でも、息子の道は私が案内できるものではないのです。だって誰も知らないから。息子だって知らないのです。でも息子はちゃんと毎日、自分のことを決めて元気に生きていく力がある。今、私ができることは、道案内なんかじゃなくて、息子のペースで一緒に歩いたり立ち止まったりしながら、大丈夫!応援しているよ!と言い続けること。本人がどこに向かうか決めるまで、一緒に付き合おう。改めてそう決心して、すっきりした気持ちになりました。

安心して相談できる場があって、本当にありがたいです。メンバーの皆さんの力を借りて、たくさん学ぶことができました。ありがとうございました。また参加します。

☆6月の例会

参加者は5名(男性2名 女性3名)でした。

自己紹介とエピソードを話しました。次に勇気づけの歌をみんなで読んで、みんなで話し合いました。その後、私の事例を取り上げていただき、エピソード分析をしていただきました。

エピソードは、私と娘(小4)とのやりとりです。

娘は週に2?3回友達とケンカをし、イライラした様子で帰宅してきます。何かあった?と聞くと、「Bちゃんに〇〇と言われて嫌だった。」「Cくんに〇〇されて悲しかった。」と私に話してくれます。話しを聞いているうちに母として私は、どうにかしてあげたい!という思いがむくむく湧き上がってきて、よっしゃ!エピソードを聞くんだ!と、張り切ってどういう状況だったのか詳しくエピソードを教えてくれる?と根掘り葉掘り聞くのですが、娘は自分にとって都合の悪いと思うことを隠しているので(実は娘が先にBちゃんやCくんに意地悪を言っていた等、トラブルは娘の言動がきっかけとなっていると、担任の先生や保護者の方から情報を得ているのですが、娘の口からはそれを聞くことが出来ず)なかなか全貌がつかめないのです。結果、トラブルの状況がよくわからず私としては、もやもやしたまま終わるというパターンを、ここ半年くらい繰り返していました。最近では、娘がケンカをして帰ってくると、なんだかうんざりしてしまい、陰性感情が高まった状態で、娘の話を聞いてしまっています。そんなエピソードです。

娘が泣いて学校から帰ってきた。(マイナス1)
私 「Aちゃん、何かあったの?」
娘A 「ママ、 BちゃんがAと一緒に帰ってくれなかった。 Aが太っているからってとんかつ、とんかつってはやしたてて、そのまま前にいた男子と走って帰ってしまった。(マイナス2)
私 「そう、それは悲しかったね。なんで BちゃんはAちゃんに意地悪言ったんやろうね?」(私の心の中では、その前にAがBちゃんに意地悪言ってるよね?と思ってます。)
娘A 「Aは悪くない。Aは何もしていない。」( マイナス3)
私 「Aの何が、Bちゃんはいやなんやろうね。」
娘A 「Aは悪くない。」(マイナス3)
私「Aは Bちゃんと仲良くしたいんだよね。」
娘A「したいけど、、、」(マイナス2)
私「じゃあ、Aの何が嫌なんか聞いてみたら?」
娘A「聞いても答えてくれへんし。もういいよ。」(マイナス3)
私「じゃあ、しょうがないね。」

私の対処行動を「そう、それは悲しかったね。なんで BちゃんはAちゃんに意地悪言ったんやろうね?」、仮想的目標は、「学校から出る前に、AがBに意地悪言ってしもてん。Aも悪かってん。また明日学校で謝るわ。」「Bちゃんの嫌なとこばっかり言ってたわ。Bちゃんにもいいところあるしなあ。」として、話を進めていったのですが、私自身の私的感覚として「課題を解決する。」があり、課題が解決されずに問題が繰り返される状況に私自身が陰性感情を抱いているのだと気づかせていただきました。私が感じていたここ最近のもやもやは、娘が、お友達とケンカをして傷つくという問題をなかなか解決できない状況に私自身がイライラしているのが原因だと思い至りました。
皆さんとのお話しの中で、一方、そもそもの前提として娘は私にこの学校でのお友達との課題を解決して欲しいと思っているのか、同意はとれているのか?といった問いかけをしていただきました。このご指摘いただいた言葉、心にグサグサきました。私がここ半年悩んでいたのはこのズレで、パッセージで学んだ「共同の課題にする。」という手続きをすっかりぬかして、私が勝手に共同の課題になっていると思い込んでいただけだということでした。もう反省しきりです。娘のお友達とのトラブルについて私がすべきことは、「そう、それは悲しかったね。ママがお手伝い出来ることはある?」と言うことでした。
また、さらにぐさっと来たのがロールプレイで私が娘役をさせてもらった時でした。娘役の私は、母に対して全く自分の仲間じゃない!と叫びたくなり、「娘よ。ごめん。」と一人つぶやく始末。まず私のすべきことは、共同の課題にするにしても、娘に母は自分の仲間だと認めてもらうことだと実感しました。
私自身、仮想的目標は、協力的な目標だと自信満々に思ったのですが、とても競合的でした。協力的だと思ってずっと娘とやりとりしてきたこの半年間の自分に、パッセージのテキストにちゃんと共同の課題にしようって書いてあるよ、陰性感情をもってその問題をとらえている時点で競合的だよと伝えたいです。
こんな私の事例を皆さん、時間を使っていただき、あきれずにお付き合いいただき検討していただき、ありがとうございました。感謝でいっぱいです。

☆7月の例会

午前中は、9月に行われる近畿地方会のワークについての打ち合わせをいたしました。
女性4名 男性2名の参加です。
現在までできている進行表を基に、参加者の皆さまで実際に進めてみました。
課題がたくさん見つかり、遅ればせながらよかったと感じています。
実際に行ってみないとわからないことは本当にたくさんあると改めて実感しました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

午後からは、カウンセラーの練習会でした。
女性3名 男性1名の参加です。
来月のカウンセラー養成講座に参加する私も含めた2名が練習しました。
準備不足を痛感しておりますが、できる限りのことに取り組み、養成講座に臨みたいと思います。
例会にご参加いただいた方、たくさんの勇気づけ、ありがとうございました。
来月、ご一緒いただける方、どうぞよろしくお願いいたします。

☆10月の例会

午前(男性3名、女性5名)、午後(男性2名、女性4名)
午前中は勇気づけの歌を使ってみんなで話し合い、午後はカウンセリング形式で
エピソード分析で2ケースしました。

午前中はエピソードがある人が順番に話して、その後勇気づけの歌を読み話し合い、
一人の方のエピソードを取り上げました。エピソードを取り上げたのは別の方のですが、
話し合っているうちに私のエピソードも解決しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(私のエピソード )

子がベッドに横になり、私はおやすみの挨拶をしている。

子 大きく動く。−1
私 「痛っ!」
子 布団をかぶる。「お母さんがそんなところにおるのがあかんのんやし!」-1〜-2
私 「大丈夫?って言ってほしいな〜」
子 「○○は悪くないし!そんな!痛がりやがって!!」-1〜-2
私 「もう大丈夫やで。○○は悪くないよー。大丈夫って言ってくれたら、大丈夫って言うよ。 ぎゅってして?」
子 「ウガガガッ(怒)」-1

不適切な行動に注目しないを思い出したことと、子どもの目的を考えたことで、
私はなにをそんなに過剰に反応していたんだろうとおかしく感じました。
一生懸命にあなたは悪くないよ〜という意味のことをいつも伝えていたと思います。
例会から早1ヶ月経ちました。私は過剰に反応する必要もなくなり、
子どもも「私悪くない」を使う必要がなくなってきたようです。

午後に学んだことは、一致できるところで目標の一致をするです。

相手が何を言っているのかよくわからないときも、わかる部分が少しはあるわけです。
相手が何を言ってるのかわからないまま、いい加減な返事をするなんて不誠実だと思ってあれこれ質問をしていたけれど、あれこれ質問して聞き出さなくても理解できた部分に関してお返事するのは誠実だと思う。
聞いてほしいと言ってきた子どもの話の内容が、一体誰の発言なのか、
いつのことなのか、どういう関係の人との話なのか、さっぱりわからなかったけど、
どうやら大変な状況らしいということはわかりました。
子どもが聞いてくれ〜と言ってきたら、何がどうなってどうしたのか
ちゃんと聞きたくなるけど、子どもの聞いてほしいはそういうことじゃなかったようです。
子どもは細かい話まで聞いてほしいわけじゃないようなのに、
どこまで話を聞いてほしいか目標の一致ができてないまま話を聞いてしまいました。
話を聞くのが目的ではなく、手段でした〜。

京都アドラーグループのみなさま。
話を聴いてくださって、一緒に考えてくださって、ありがとうございました。
アドラー心理学の自助グループが、どんなに競合的なエピソードでも
安心してお話しできるような場所であるように、私にできることをしていきたいと思います。

☆11月の例会

いつも会の開催を、ありがとうございます。
久しぶりに参加することができ、皆さんと顔を合わせて学ぶことができた貴重な一日でした。

午後のカウンセリング練習の、クライアント役をさせていただきました。
最近、違和感があった出来事が続いたので、そのお話を聴いていただきました。

初めに、起こった出来事を三つ聴いていただいていたので大層時間を取っている自覚はありつつ、違和感を分かってもらうために話さなくては、という気持ちでした。

何を解決するかの合意を取っていただいて、あるエピソードの一場面を分析をしてもらいました。いくつかの対話があるエピソードではあるのですが、果たしてこの場面で一連の違和感を解決することができるのかな?と思いつつ、委ねました。

仮想的目標を考えましたが、プラス3でした。これプラス5じゃない、って分かるのですが同時に、じゃ一体どうしたら5になるの?と思いました。ライフタスクがあってこの対処行動、と心の中で唱えながら、プラス4、プラス5、といち段階づつ上げていくことができました。プラス5の仮想的目標はプラス3がより具体的になった内容で、自分が相手にどうしてもらいたいと考えているのかがはっきりしました。この作業は、何もないところから魔法で出てきたみたいな感じがしましたが、分かってみると、なぜわからなかったのか自分よ、と思いました。

目標は協力的だとし、仮想的目標をお願い口調で言うことで、終了しました。このエピソードで一連の違和感を解決することができるのか?という心配は、杞憂でした。私にとって多くの発見がある、素晴らしいカウンセリングでした。
そのあと、同席していただいていた方から勇気づけや助言をたくさんいただきました。特に、この出来事の違和感の正体を一言で表現していただいたことは、今後の人生の随所できっと役に立つだろうと思うものでした。

☆12月の例会

2021年12月 今年最後の例会の報告です。

午前の部 参加者 7名
グループで、「勇気づけの歌」の抄読会をしたあと、グループで参加者さんの事例をエピソード分析を使って解決策を相談しました。

仮想的目標を「競合的目標」としながら、でもエピソードの内容としては、私的感覚まで出す必要はないなあと思っていました。
事例提供者さんの相手役さんのことを聴いたり、相手役さんのよい面、事例提供者さんがとってもよくがんばっていらっしゃることなど、メンバーさんから事例提供者さんへお伝えしている中、あるメンバーさんが事例提供者さんに対しおっしゃった一言で、事例提供者さんの構えがすっかり変わりました。
その出来事の前に代替案はご自分で出されていたのですが、とても納得されて、この代替案をやれると思います、とおっしゃってくださいました。
最後に、金沢や倉敷で学んだことを使おうと思い、事例提供者さんが、また同じような場面になったときに、迷うことなく代替案に進めるように、その前にどんな工夫ができるかを相談したところ、とても素敵なことを言ってくださいました。
それまでの流れとその言葉で、グループ全体が、とても温かな雰囲気となりました。
金沢や倉敷と同様、「グループの力」というものをあらためて感じた時間でした。

午後の部 参加者4名

午後からは、カウンセリング練習をしました。
私がカウンセラー役をしました。
あまりいいカンセリングにはなりませんでしたが、でも、事例提供者さんは、いろいろと気づかれたようでした。
このときも、エピソードの内容から、事例提供者さんが同じような場面になったときに、代替案に進めるように何か準備できるようなことがあった方がいいかなあと思い、相談したところ、これもとても素敵なことをご自分で言ってくださいました。
アドラー心理学のカンセリングで学んだことが、事例提供者さんと相手役さん、そしてご家族がともに、これからも仲良く、協力して暮らしていく助けになっていくといいなあと思いました。

自分の力はまだまだですが、そんな援助ができるように、これからも一歩一歩、学び続けていきたいなとあらためて思いました。

2021年も多くの方にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
2022年も、京都アドラーグループとして、しっかりと、地に足をつけた活動を続けていこうと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

*報告を作成できていない月があります。


2016年の例会

2017年の例会

2018年の例会

2019年の例会

2020年の例会