☆3月の例会

参加者は、午前 男性3名 女性4名

午後 男性1名 女性3名でした。

午前中は、総会があり、その後はエピソードを発表しながら自己紹介、そして勇気づけの歌を詠みそこからの気づきの話しあい、エピソード分析をしました。エピソード分析は、職場での陰性感情を持った出来事についてでしたが、エピソードの仮想的目標を協力的ととり、ロールプレイをしたり、相手役さんやご本人の良いところを探したりしながら、代替案を出していきました。私は、ロールプレイで相手役をさせていただき、その後ご本人役もさせていただいたのですが、相手役さんは言い方ひとつでこんなにも協力的な気持ちになるんだと学ばせていただきました。 そして、ロールプレイを通して、事例提供者さんの気持ち、相手役さんの気持ちのどちらも体験することで、改めて自分との日常の中でいかに相手の気持ちに思いが至れるかが大事だと感じることが出来ました。(娘よ、ごめんね。)

午後からは、カウンセリング練習で最近犬を飼いはじめた我が家でのエピソードを取り上げていただきました。

初めは、散歩も餌やりもケージのトイレ掃除も全部娘がするという約束で犬との生活をスタートしたのですが、娘の力ではお散歩中に、犬の拾い喰いを阻止するのが難しく、出来なくて、さらにトイレ掃除も自分に余裕がある時は出来るけどやりたくないーってなる時もたくさん出てきて、結局娘が大好きなエサやりのみをやっている状況で、大変なトイレ掃除や散歩は、結末を娘に体験させることなく親がやっている状況でした。でも、やっぱりしたくないお掃除もやってほしいなっていう私の期待から、トイレ掃除を頑張って出来たらエサやりが出来るというお約束を一方的に私が取り付け、それに関するエピソードでした。

カウンセリングをしていただく中で、お掃除を頑張ったらエサやりができるというのは、賞罰を使っているよねという気づきをさせていただきました。
そして、私の私的感覚として
プラス 苦手なことにも取り組む
マイナス 好きなことだけする
ということがあり、このことを娘に学んで欲しいと考えていることを出していただき、今後の方針について、今の賞罰の形ではなく、犬のお世話について家族会議を開いて、家族での役割分担や、現在娘が犬のお世話でみんなに貢献してくれていることの勇気づけと、これから娘がお世話で出来そうなことのお話しあいが出来たらいいのではという助言をいただきました。
パッセージを再受講し終えたばかりでしたが、パッセージを毎日丁寧に実践していくことが大切だということを、皆さんと学ぶことで気づくことが出来ました。
いつも、たくさんの気づきをありがとうございます。


☆4月の例会

4月29日の例会を報告します。
朝は曇っていましたが、昼間はしっかりと雨が降る一日でした。

午前中は8人が参加しました。
勇気づけの歌をみんなでよみ、エピソードをシェアしました。
勇気づけの歌の中には、普段のエピソードに対するヒントがあり、今回もそれを実感できました。

1つの職場のエピソードを提供していただき、みんなで話をしました。
職場のお話は、仕事の内容を含めた背景が理解できるまでに時間がかかることが多いのですが、皆さんの質問に丁寧に提供者さんがお話をされていく中で仮想的目標が本当の「+5」になり、提供者さんの笑顔を見ることができました。
みんなで話をして進める力を感じられた時間でした。

午後からは6人が参加しカウンセリングの練習をしました。
私は、カウンセラー役をしました。
私自身の課題をいくつか認識できた貴重な体験ができました。
普段の実践
基本に忠実
場数を踏む
本当に大切なことなのだと感じました。

昨年、延期となった養成講座が8月に予定されています。
できることをして臨みたいと思います。


☆5月の例会

午前は男性3名、女性5名 勇気づけの歌を読み、グループでのエピソード分析をしました。
午後は男性1名、女性4名 カウンセリング形式のエピソード分析をしました。

今回もいいことを学んで帰ったはずなのに、実生活で実践するのは難しいです。
今朝も「洗濯と洗い物と掃除機、どれか手伝ってもらえませんか〜」と子ども達に投げかけると、
上の子はすぐに洗濯を分担してくれたのですが「お前は何もしないんやな」と下の子に言って、
そこから下の子は暴れだし・・、私は陰性感情のまま二人に怒り・・、もう最悪です。 せっかく学んだのにな。

気を取り直して学んだことの報告をします。
午前では、私の事例を取り上げていただきました。
学んだことは、横の関係です。
子どもの行動に陰性感情を持って対処行動していると、上手くいかないのは知っていました。
だけど、してはいけないことはダメだって教えないといけないとも思っていました。

うちの下の子の機嫌が悪くてこれは言いがかりだよねと思うことがあり、対応するのが面倒に感じた私は「ごめんね」と言いました。
これでは子どもの下に入って縦の関係になっているし、子どもは何も学びません。
子どもに学んでもらうために「仲良くしたいと思ってるんなら、そのやり方はダメでしょう!?」と伝えるのは、
例え陰性感情がなくても「私は正しいやり方を知っていて、あなたは間違っている」という縦の関係です。
グループで話を聴いていただいて、私が本当に願っていることを素直に「仲良くしたいんだけどな」とこれからは伝えようと思いました。
もしかしたら子どもは機嫌が悪くて、「うるさい!」となるかもしれません。私は「仲良くしたいと思うけどあなたはどうですか?」
という気持ちで伝えて、「うるさい!」と返事が来たら、今は仲良くしたくないのかもしれないので一旦引き下がることにします。
怒ったり、諭したり、教えたりしなくても、必要なことを学んでいくのが、なんとも不思議な感じがします。
家族で一緒に仲良く遊ぶために自分には何ができるのか、子どもは考えてくれると思います。

「人間なら必ず協力的な私的感覚を持っている」と先輩が言われました。
子どもの行動を、私の私的感覚で良い悪いと判断しています。
私的感覚を子どもを裁くために使うのではなくて、協力的に暮らすために使うということでしょうか。
ほんの少し、私の中でパセージとエピソード分析がつながった感じがしています。

午後はカウンセラー役をさせていただきました。
エピソードを取り上げるか取り上げないかの基準の1つは、
クライエントが陰性感情を使って行動して、相手も陰性感情を持つようなエピソードの方が
私的感覚も出しやすくて適していると学びました。

今回もみなさんとお会いできて、楽しくたくさん学びました。
肯定的なメッセージを何人もの方が他のメンバーに発していらっしゃるのを、
凄いことだなと見ておりました。いつも適切なところを見て、協力的な世界に生きているのだと思います。
京都アドラーグループは、みんなで作っている素敵な場だと思います。
私もみなさんのようになりたいです。


☆6月の例会

午前は女性4名男性3名が参加しました。
私は午前中のみ出席しました。

はじめに「勇気づけの歌」をみんなで読み上げました。

その後、私の事例を取り上げていただきました。
仕事が終わって21時くらいにつかれて帰ってきたときのことです。帰ってきて流しに向かい、昼に食べたお弁当の容器を洗おうとしたときに、娘に陰性感情を使ってかかわった私のエピソードをとりあげていただきました。

疲れて帰ってきて流しで弁当を洗おうとしていた時です。流しは比較的スッキリしているように見えました。
ところが、奥の見えない洗い桶から大量の洗っていない食器が出てきました(-2)
娘は仕事も休みで一日ゆっくりしていたことを聞きました。

私(遠くでソファで寝ている娘に向かって大きな声で)「え?誰も洗ってないの?」
娘(大きな声で)「(弟の名前)は洗った、私の分や」「え?誰も洗ってないの?」(-1)
私「朝から洗ってないの?」
娘「あとで洗うやん」(-1.5)
私「あとでって排水口洗えへんやん」
(シンクを最後にきれいにするのは、私の仕事になっています。できるだけ早くしたいと思っています)
娘「怒らんでええやんっ」(-0.5)
私「怒っているつもりないんやけど…お風呂沸かしてくる」
(お風呂を沸かしに立ち去る)

対処行動を
「え?誰も洗ってないの?」をとってもらい
仮想的目標は、
娘に「ごめんなさい、次からちゃんとしておく。食べたらすぐに洗ったらええんやね」「早くやって早く寝るわ」と言ってもらうことでした。

競合的と取り、私的感覚を見ることにしました。
娘は明日早い勤務で早く寝ないといけないことを知っていました。
4月に新入社員として勤め始めた娘はいつも寝不足気味でくたくたの様子にもかかわらず無計画に過ごして結局すべきことを後回しにしていることが多いように見え、そんな娘のことが以前から気になっていました。

私的感覚の プラスは「健康に留意する」か「計画的に生活する」
マイナスは「場当たり的に生きる」
が出てきました。

娘や家族の良い面や良い意図をみんなで考えていただきました。
家のことをかなり手伝って料理も頑張ってくれていること。
いろいろと娘の良い面を思い出せました。
私の言ったことをすぐに反応してくれ、息子は自分の食器を洗っていることを僕に伝えてくれていること。
家族みんなで助け合って暮らしていること。

そういった強みをあらためて見直すことにより、不規則な時間に勤務していつもくたくたの娘ですが、これまで1度も遅刻したことがないことなどから、娘の課題である、「いつ寝るか」「いつ起きるか」「いつ皿を洗うか」などは、私が介入するよりも本人に任せたらいいのだと思えるようになりました。

代替案は、遠くのソファに寝ている娘に大きな声で起こっているように声をかけるのではなく、近くに寄り、落ち着いた声で「食器が残っているけど明日の朝までに流しをきれいにしたいのでそれまでに食器を洗っておいてくれる?」ということにしました。また、「健康に留意する」という思いも伝えたいので頭に「ちゃんと寝た?」と付け加えることにしました。

エピソードの続きの話ですが…お風呂にはいり、上がってきたら、娘はシンク周りを排水口まできれいにしてくれていて、
「ご機嫌は直りましたか?流しはきれいにしておきましたよ」と言ってくれ、
私は「はい、機嫌が悪くなってごめんなさい。これから気を付けます」
と娘は僕に謝る機会を作ってくれました。
そのあとは、普通に話ができ、すぐに仲直りができ、娘に助けられた思いでした。
娘の方が、私のことをよく理解してくれているように思いました。


午後は二人でした。
普段の例会とは違って、疑問に思うこと、事例、パセージテキストや補正項をつなげて二人で考えていきました。
親の頭には子どもにこうなってほしい、こうあるべきがあったり、陰性感情があったり、時間に追われたり、体力的に辛い日があったりで、なんだかゴチャゴチャして自分のいつものパターンで反射的に動いてしまうことがあります。解決に向かうただ一つのやり方があるわけではなくて、ただ1回のやりとりで大人になるわけではなくて、子育ては少しずつ親子で一緒に育っていくものなのに今すぐ何もかも解決したいなんて非現実的なことを考えていておかしいですね。頭の中がこんがらがっていたことが、1つ1つ確認することで整理されていきました。

あれこれどんな話をしたのか、一部をシェアします。
●いつも家の中では許容されている子どもの行動が、外では周りの人の迷惑になるかもしれない事例を考えました。
・子どもの行動を不適切と感じたとき、親の好みの話なのか、学んでもらう話なのか。
・家の中ではいつもどのようにしているのか。
・周りの人にはどれほどの実体的迷惑があるのか。どこまでOkで、どこからは選択できない可能性なのか(パセージ28L)
・家ではOKな行動なので、子どもは外で同じことをするのが不適切だと知らない可能性があること(パセージ2L@)
・子どもに学んでもらうために、親にできること

親の価値観を子どもにどう伝えるかが問題で、独裁的・強圧的な雰囲気ではなくアドラー心理学が「民主的」と呼ぶ雰囲気で伝えたい。
親の価値観に子どもが賛成してくれて、家の中で上手くいっていても、状況によっては周囲の人が困るときがある。
子どもが小さくて知らないなら言葉で教えてあげることもできるし、モデルから学べるようにすることもできる。

●子どもから言葉ではっきり頼まれたことを、親が少し無理をして引き受けた事例を考えました。
・いったん引き受けて、普段の生活で正の注目を心掛ける。
・お願い口調と妥協案。
・子どもに「(荷物を)持ってほしい」と頼まれて、親は「自分で持ってもらえる?」と断るけど、「いやだ」と子どもが言うので持ってあげるという事例。
親は陰性感情があるので、パセージ2LBCだと考える。葛藤のどの段階か考えて、注目関心なら正の注目が足らないのかもしれないと考えてみる。
この事例では結局、親は荷物が多くて大変だけど、何とか持ってあげることはできるので持ってあげている。これは子どものわがままを叶えることになって、いけないのだろうか。それとも、言葉ではっきりお願いされたら引き受けるべきなのか。
補正項を読みつつ考えたので、リンクを貼っておきます。

 過保護の毒 2013年06月16日(日)
 肯定文で話す 2017年01月02日(月)
 育児プログラムの効果(3)2015年06月26日(金)


☆9月の例会

午前は女性3名男性1名の参加でした。
「勇気づけの歌」をみんなで読んだ後、私の事例を取り上げていただきました。

7月12日のできごとです。
夜、夫が仕事から帰ってきて、ビールを飲み始め、食事の支度をしている私に言いました。
夫「ソーセージちょうだい。」(-2)
(夫はソーセージが大好きです。時々、求められるままにソーセージを出すと、晩ご飯を残す時があります。陰性感情が湧いた私は、この頃、夫が、私に頼まず自分で冷蔵庫からソーセージを取り出してそのまま食べていたことがあったのを思い出し〜加熱処理済なので問題はない〜、冷蔵庫から取り出したままのソーセージを夫に出しました。この時、無言)
夫「焼いてくれないの?」(-2)
私「ご飯いらないの?」
夫「いるよ」(-1)
私(無言で、焼いて出した)

対処行動を、
「無言で、焼かないソーセージを出した」私の行動をとってもらい
仮想的目標は、
「これ食べてもご飯は食べるからね。せっかく作ってくれたんだから、おいしく食べなきゃね。忙しいのに出してくれてありがとう」と夫に言ってもらうことでした。

競合的と取り、私的感覚を探してもらいました。
思考:あー、またご飯残されるかもしれんな
   フライパン使わなあかんの面倒くさいな
   一所懸命作ってるし、作ったのを食べてくれないのはイヤだな
私的感覚のプラスは「労力が報われる」
マイナスは「作ったものをないがしろにする」

事例から随分時間が経っていますので、丁度昨晩も、ソーセージを求められて、焼いて出したところではありました。感情、プラスとは言い切れなかった記憶です。
少し前(事例よりは後)、夫が遅く帰ってきて、晩ご飯をほとんど食べてくれなかったことがありましたが、その時、夫が謝ってくれたので、これは夫の失敗で、悪気があるわけではないとわかった、ことも思い出しました。

代替案は、
「はい」と言ってソーセージを焼いて出す
おかわりを求められたら、焼いて、「これ食べてご飯食べれる? 一所懸命作ってるから、食べてね」と言って出す
ことにしました。

ロールプレイをしてもらって、
〇ソーセージを出す時に、無言なのは夫にとって感じが悪いに違いない
〇「ご飯いらないの?」という台詞では、意図していた意味が伝わっていないだろう
ということに、やっと気がつきました。

このエピソードは、いつか誰かに分析してもらおうと思って、放置していましたが、一人で考えるのではなく、分析してもらうことで洞察ができた、としみじみ思いました。ありがたいことです。

午後は、女性4人でした。
事例がなかったので、「基本前提の歌」をみんなで読みました。
「所属する」という言葉の意味がよくわからない、と、あるメンバーさんが言いましたが、「居場所がある」と言い換えると、よく理解できたそうです。
安倍首相を狙撃した犯人も、彼なりに所属しようとしていたんでしょうね。と話題になりました。方法が間違っていた、わけですけれど。

現役で子育てをされているメンバーさんが、教育の分野でビジネスしている人たちが、競合的な世の中をますます競合的にしている、ことを話してくれました。親が、子どもの意見をそっちのけにして、塾や家庭教師や問題集を一方的に決めることも珍しくない、と。そんな中で、小学校6年のご自身の子どもさんに、「塾に行くかどうか、自分で考えてもらえますか。値段についてはできる範囲を相談しましょう」とおっしゃった、とのことで、勇気がある、と感心しました。
自分のことだけを考えていたら、競合から抜けられないよね、と話し合いました。

最後のシェアリングで、
〇「世のため人のためになる人になるのには、高等教育だと思いますね、それが近道だと思います(註:職種によっては例外があるとお話されていたこともありました)」という野田先生の言葉(メンバーさんが紹介した)に感動した
〇(人が)所属に向かっている、というのはすごいアイデアだと思う
〇みんなで協力する世の中に一歩でも近づけるといいですね
〇コロナ下で、思っていることを口に出す機会がなかったので、例会で話せてよかった
などのお話が出ました。
7月の例会が中止になったので、3ヶ月ぶりになりました。集まれてよかったです。


☆10月の例会

午前 男性2名 女性3名
「勇気づけの歌」を使いました。

午後 男性1名 女性4名
エピソード分析を使ってのカウンセリングを2ケースしました。

午前は私の事例を取り上げていただいたので、報告します。
娘(小4)とのエピソードです。
娘からの「お母さん、これどうしたらいい?」が、私にとって「一直線に解決すべき仕事」から「娘とつながるもの」になりました。

子 (算数の宿題)これってどうやるん? −1
私 どれ〜?四角に書きなさいって書いてあるね。
子 うん。 −1
私 えーと?ここが11mで、ここが6m‥てことは何m?
子 だから、それがわからんのやんか! −1.5
私 うーん?ここは6mだよね?
子 うん −1
私 じゃあ、ここは?
子 わからへんし!! −2
私 お兄ちゃんに聞いた方が‥いいんちゃうんかなー。
子 ムキー!!!(怒)−3
私 すっと立って、違う部屋に行く

対処行動は、「どれ〜?四角に書きなさいって書いてあるね」
ライフタスクは、「(宿題)これってどうやるん?」 −1

仮想的目標は、「うんうん。ここが11mでここが6m。あ、5m!!自分で考えたらわかるな。
ちょっと1人で考えてみる。お母さんはお母さんの勉強して。ここで一緒に勉強しよ。
お母さんが隣にいてくれるだけでいいねん。」

娘の適切をみんなで探していくと、親の理想とは違うけれど娘が頑張っているところ、
成長しているところ、適切なところを思い出しました。適切なところを探すには、パセージの最初の章(5L)に書いてあることが
助けになることに、家に帰ってから気づきました。

娘の「これってどうやるん?」の目的をみなさんと考えていくうちに、「宿題が解ける」を目的にしていないことがわかりました。
娘は、本当に宿題がわからないときは、いつも私ではなくお兄ちゃんに聞いています。
このエピソードの後、娘は一人でスラスラ宿題を進めて、1問解けるごとに私に見せに来ていました。
誰にも聞かずに教科書を見ずに、一人で宿題をする力があり、わざわざ1問解けるごとに親に見せに来たのです。

私の方は「どうやるん?」と聞かれると、どうやって説明しよう?どうやったら答えにたどり着ける?何がわかってて何がわからないの?
と頭の中で考えて、宿題完了まで一直線に進もうとしていました。完全に仕事モードだったと思います。
聞かれたことには答えたい、精一杯のことをしたい、最短でたどり着きたい、などを考えての私の行動は、娘から見ると不適切な行動でした。

代替案は、ふわ〜とした雰囲気で「う〜ん、難しいな〜・・。この前の授業参観で算数なのに体育館で何かしたんやんな〜(等々おしゃべり)お母さん隣にいるから、
ちょっと自分で考えてみたら〜(うふふ〜)」でした。
ロールプレイで私が子ども役をしたときに、「おかあさ〜ん」と抱きつきたい感じで、ほわほわと温かい感じを体験しました。

家に帰ってから、大事なことは相手の目的を考えることと、寄り道をするのが良い場合もあることを思い出しつつ、
背後霊のように私にぴったりくっついて、たくさん喋り、たくさん遊ぼうとする娘と過ごしながら、私はいったい何のために仕事モードで進めようとしていたのか考えていました。
一直線に解決へ向かわず、ふらふら、ふわふわ、ぼんやりしていると生活が破綻してしまうと恐れていたのだと思います。
子育て、家事、仕事などをこなして日々の生活をどうにか続けていくための、私の適応努力でした。
一直線に解決に向かわず寄り道をしてもたぶん問題は起こらなくて、もしかしたら良いこともあるかもしれない。相手と情的な部分でつながるとどうなるか、家庭でも職場でもしばらく実験をしてみます。


☆12月の例会

午前 男性3名、女性3名
アドラー保育連盟の記念講演(オンラインzoom)にみんなで参加して、講演を聞き、例会会場でシェアリングしました。

講演会は、保育現場での具体的なエピソードを「アドラー育児の歌」にそってお話ししてくださったので、とてもわかりやすかったです。エピソードは架空のものですが、子育て現場ではよくあるお話でした。
お話を聞いて学んだことをご報告します。

講演会の数日後、うちの小中学生の子どもたちと崩し将棋、挟み将棋、トランプ遊びをしました。
途中で子どもが「負けそう!!」とマイナス感情を持ってグズグズ言い出した時、講演会でのエピソードを思い出しました。保育現場でフルーツバスケットをして、椅子に座れなかった子ども2人が喧嘩になる話です。保育士がフルーツバスケットをイスに座れるかな?、座れないかな?、ドキドキ楽しむゲームだと言う場面があったように思います。

講演会の話と今の状況が同じだと気づきました。いつも私と子ども達はゲームに真剣で、勝つことを第一に考えていたと思います。子ども達は負けそうになると陰性感情を使って、「お母さんが強すぎる!!」「私ばっかり狙わんといて!!ずるい!」と泣いたり怒ったり、途中で駒を投げたり、トランプを折ったりしていました。勝つのは良いことで、負けるのは悪いことだと捉えているようでした。

今回の私は、崩し将棋では「あぁ、崩れそう?」、挟み将棋では「あぁ、しまった?。挟まれる?」とドキドキを楽しみながらゲームをしてみました。いつもは無言で真顔で真剣な母がキャッキャ言いながら遊んだので、子ども達はすぐに変化に気づき、上の子には「お母さん、どうしたん?大丈夫?」と心配され、下の子には「お母さん、楽しそう!どうしたん?」と聞かれたました。私が「楽しいね?。挟めそうでドキドキ、挟まれそうでドキドキ。真剣にやって、取っても取られても、こんな風に楽しめるんだね?。」と言うと、子ども達もにこにこしました。

親が「楽しくゲームしようね」とか、「グズグズ言わない!」なんて言わなくても、みんなでゲームを楽しむこと、勝ち負け以外のゲームの楽しみ方を学んでくれたと思います。

もしかしたら、子ども達はゲームでの勝ち負けが、自分自身の価値に関係するように感じていたのかもしれません。「勝った私はオッケー。負けた私はダメ」と考えていたなら、何としても勝ちたくて泣いたり怒ったりしますよね。
勝ったら嬉しいし、負けたら悔しいけど、どちらになっても自分自身をオッケーなんだと感じてほしいです。

子どもに学んでもらうために、いつも親にはできることがあります。ゲームをしている時も子どもを育てているのだと考えると、いつもとは違う時間に感じます。お正月は子どもと一緒に過ごす時間が多いので、楽しみです。

どんなときでもプラスを見
学んでもらうことを決め
よい学び方を考えて
やさしくきっぱり育てましょう
(アドラー育児のうた 野田俊作 ※一部抜粋)


午後は、男性1人、女性3人でカウンセリング練習を2ケース行いました。
最初は、私のエピソードを扱っていただきましたので、その内容を報告させていただきます。
エピソードは、娘の担任の先生から電話で娘の学校での不適切な行動の報告を受け、一気に陰性感情が-4くらいまであがった私が、そのまま娘のところに行き、責めたて、それに娘も応戦し、葛藤状態におちいり、私が疲れ果てて終了。その後、私がお風呂に入って落ち着いた後、やっと娘と冷静にそのことについて話し合った。という内容です。
いつも学校の先生や保護者の方から娘の不適切な行動の連絡を受けると、瞬間的に沸騰してマイナス感情のまま娘と話をして葛藤状態になってしまうというところを取り上げていただきました。

また、私の私的感覚のマイナスは、「ウソをつく、ごまかす」といった事で、私が娘の行動を不適切だと感じる時はいつも、娘がウソをついている時で、今回もウソがからんでいました。そこで、娘はどうしてウソをつくのだろうか?というところを掘り下げていただき、ウソをつくことで注目を集めようとしているという話になりました。
そうか!注目行動だったのなら、そんな時こそ冷静になって、ウソに注目せずにもっと良い面に注目することが大事でした。
これから、このようなことはたくさんあると思うけど、そんな時に、陰性感情を持たずに落ち着いて良い面に注目しながら、娘と話し合うための工夫が必要では?という提案をいただきました。次に同じような事があったら、代替案として、ケーキを準備してから「ちょっと話があるんだけど?」と話をきりだし、ケーキを食べながら、話をするということにたどり着き、これなら出来そう!という気になりました。

カウンセリングを通して、私が娘の不適切な行動に直面した時、「こんなに頑張って子育てしてるのに報われないなんて、かわいそうな私、ダメな娘」状態におちいっていて、娘に対しても「生育歴的に、娘がその不適切な行動に走るのは仕方ないのかな」と思っているふしがある事に気がつきました。そしてこんな時は、全く娘の適切な面など見えていません。結局、適切な側面を探す、娘のことを信頼する、娘には友達と適切な関係を築いていく力を持っていることを信じるというパッセージの基本に立ち返る必要があるということを教えてもらいました。
パッセージに大切なことがつまっていて、でも私はいつも忘れてしまう!ので、こうして、再確認出来る場があってありがたいです。
たくさんの学びをありがとうございました。


*報告を作成できていない月があります。


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